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移住者インタビュー

2022.09.30

移住者に聞く林業 | 移住者も一員となって村の可能性を広げていく

文:三上由香利
写真:都甲ユウタ

「実は、『移住しよう!』と意気込んでこの村に来たわけじゃないんですよ」。そう話すのは、有限会社津田林業の南 祐希さん。南さんが住む野迫川(のせがわ)村は、離島を除いて日本一人口が少ない自治体。周囲を山に囲まれているため、最寄りのスーパーまで1時間ほどかかる。住みやすいとは言いづらい場所に位置しています。南さんが移住してすでに14年目。津田林業の先代である津田晃さんに誘われて林業に従事。入社後、同級生だった方と結婚し、3人のお子さんを持つ父親となりました。自分の意思ではなかったのにも関わらず、南さんはなぜ林業に従事し、野迫川村で暮らし続けているのでしょうか。

インタビュー:南 祐希(有限会社津田林業)

先代との縁から、林業の世界へ

――地元の兵庫県加古川市から移住することになった経緯を教えてください。
子供の頃から動物や植物が好きで、神戸にある環境系の専門学校へ進学したんです。自然に関わる仕事について学んでいたのですが、学校の講師の中に、奈良県で里山の保全活動をされている方がいて。その方から、「卒業後にうちで就職しないか」と声をかけていただき、就職しました。入社して3年目のときに、野迫川村にあるキャンプ場へ出向になりました。ポニーなどの動物の世話をしたり、キャンプ場のお客さんの対応をする以外にも、キャンプエリアの整備も行っていました。重機を使って作業道を作ったりチェーンソーで木を切ったりなど、比較的林業に近い仕事もやりましたね。それを1年ほどやっていたんですけど、「この先どうしようか」と迷っていたんです。そんなときに、年末にあった地域の集まりで津田林業の先代と出会って「まだやること決めてないんやったら林業しないか」って声をかけてもらったんです。その3ヶ月後に、入社しました。

――林業の世界にいきなり飛び込むことに、不安はなかったですか?
「田舎暮らしをしながら、自然の中で働ける仕事」というざっくりしたイメージしか持っていなかったことと、専門学校の同級生だった妻との結婚を考えていたので、ある程度安定した収入も得られる林業なら安心かなと。以前の職場で重機やチェーンソーを扱っていたこともあったので、そこまで大きな不安はなかったですね。

――パートナーからの、反対はなかったのでしょうか?
妻も田舎暮らしを望んでいたし、二人とも「もし合わなくても違う場所を探せばいいか」という発想の持ち主だったんですよね。しかも入社が決まってから、先代が事務所として使っていた場所を空けて、二人が住む場所を用意してくれました。入社してから5年ぐらい住んでいたかな。上の子が産まれた後に手狭になったので引っ越して、今は築40年ほどの住宅をリフォームした家で暮らしています。

南さんが住んでいたのは、現事務所。南さんの後は津田さん(現取締役)も暮らしていた。

持続可能な林業を目指して

現在、津田林業に従事するのは南さんを含めて6名。先代の後を継ぎ、取締役となった津田一馬さんと共に津田林業を支えています。ここからは津田さんも含めて、津田林業の取り組みについてお聞きします。

南 祐希さん。

取締役となった津田 一馬さん。

――南さんは、現在どのような業務を担当されているんでしょうか?
南 祐希(以下、南):基本的には6人全員で一つのグループとして動いています。例えば間伐をする現場であれば、みんなと一緒に木を伐ります。ただ作業道作設など重機を使う時は、僕と津田君がメインでやることが多いですね。複数の現場を同時進行で受け持つというよりも、1つの現場を全員で終わらせて、次の仕事にいく。皆伐・間伐専門の技術のみを行う事業体もありますが、うちは木を植える所から木を伐り出すところまで一貫してやっています。林業全般に携われるのも、仕事の面白さの一つでもあるかな。

――なぜ津田林業は、植林から伐採まで一貫して行っているんでしょうか?
津田 一馬(以下、津田):木を植えてから育つまで、何十年もの月日がかかります。木を伐りっぱなしだと、山は育っていかないですよね。将来的なことを考えると、今のうちから造林・育林を行うことで、林業の持久力をあげていきたいと考えています。それが結果的にどんな仕事でも対応できる、会社の強みになっているのかもしれませんね。

――多様な仕事をどのように習得していくのでしょうか。
南:僕はまず諸先輩方の動きをみながら、そして現場でやりながら技術を身につけていきました。長年林業に従事している方だと、1から10まで丁寧に教えるっていう文化ではないから、へこたれずに積極的に自分からコミュニケーションを取るようにしていましたね。
津田:最近入社した方は、「緑の雇用制度」で林業に関する知識を座学で学べたり、資格を取る機会もあるので、それらを活用しながら、現場で仕事を覚えていく流れになっています。アルバイトとして経験を積んでから、入社した方もいます。

――アルバイトとして、林業に関わることもできるんですね!
南:もともと村の中学校の非常勤講師で、最初は授業のない日にアルバイトとして来てくれていました。やはり仕事をしてみないと向き不向きはわからないので、まずはやってみるという形もありなんじゃないかと。その時に、本当に向いていないと感じる人にはきちんと伝えるようにしています。一歩間違えると怪我をしたり、命を落とすような現場もある。ベテランの人の口調が荒いのは、そういう教訓もあるんかなと思うんですよね。現場ではベテランの人たちの意見も素直に聞き入れて、コミュニケーションを取ることも大切だと思います。

――将来的に林業を持続するためにも、仕事と人のミスマッチを減らそうとされてるんですね。
津田:奈良県林業労働力確保支援センター主催の森林の仕事ガイダンスin奈良にも僕と南くんで参加しているんですが、業界の中では比較的若い僕ら2人が座ってるので、興味を示してくれる人は多いんですけど、野迫川村が山間部にあるから、移住することが条件のひとつになっちゃうんですよね。でもそこはどうしようもないので、せめて住む環境を整えようと取り組んでいます。
南 :今年、「森林の仕事ガイダンスin奈良」から入社してくれた方は、「移住交流体験施設」で借り住まいをしてもらっています。これは、昔の小学校の一部を改装してアパートにしています。そこで3ヶ月ほど住みながら仕事をしてもらって、「続けていきたい」と希望をしたら、長く住む場所を確保してあげたいと考えています。まだ準備段階ですが、ゆくゆくはこの地区の空き家を活用して、そこへ移住者が住めるような流れになればいいなと考えているところです。

昔の小学校の一部を改装して作ったアパート。部屋は新築並みに綺麗で、家具家電付き。

津田:会社に人を増やしたいというだけでなく、地域に人が増えて一緒に面白いことができたり、村に活気がでてきたら嬉しいなという想いもあるんです。

――津田林業として今後取り組みたいことは、ありますか?
津田:今ある山は、昔の人が木を植えて僕たちに繋げてくれた資源なので、大切に次世代につないでいきたいと思っています。今は国有林を主に担当しているので、野迫川村内にある森林にはまだ携われてないというのが現状です。きちんと山の手入れをして、野迫川村産の木を活用して、地域の中で循環させていけるようにするのが目標です。

地域みんなで「暮らし」を支え合う関係性

――津田林業のように地元密着型の企業では、仕事と暮らしの人間関係がイコールになっている部分もあると思います。移住者である南さんは、どのように野迫川村で人間関係を築いてきたのでしょうか。
南:僕たちがというよりも、津田林業のある野迫川村大股地区の人たちが「若い夫婦がよう来てくれた」と最初から受け入れてくれたんです。「困ったら何でも言えよ、助けたる」って気概をもった方がたくさんいて、子育てや暮らしの面でたくさん助けていただきました。移住した当初は、毎晩のように先代や同じ地域に住む先輩がご飯に招いてくれましたし、上の子が学校帰りに歩いてると、先代が「うちで飯食えよ」と声かけてくれて。なかなか帰ってこないなと思ったら、だいたい先代の家にいるんですよね。僕ら夫婦が最初に思い描いていた田舎暮らしが、ここにはあった。だから、自分たちが受けた恩を地域の人に返したいという気持ちが強いんです。

――子育てをする上で、大変だと感じられたことはありますか?
南:子供の怪我や病気に対して、病院が近くにないということは不安なところではありますね。やはり自然が近い分、台風や雪などの影響を受けることも多い。でも市街地での子育ても自動車事故や変質者など、同じように心配事があると思うんです。人口が少ない分、地域の人も学校の先生もみんなが子どもの見守り役だし、子どもたちも学年関係なく、みんな友達なんです。田舎だから子育てがしにくいとは、感じていないですね。

――地域がひとつのコミュニティのような役割をもっているんですね。
南:野迫川村は特に、村民が一緒になって取り組んでいる活動も多いんです。先ほどお伝えした移住施設の管理や空き家の活用を行っているのが、NPO法人「結(ゆい)の森倶楽部」。村の特産品の販売や、村内にある熊野古道の補修作業など、町おこしを目的とした活動を行っています。他にも林業について深掘りする「林業研究会」、夏祭りで太鼓を披露する「太鼓クラブ」、地域の青年団とか、ありとあらゆる活動に僕と津田くんは参加してます(笑)。

昔の学校の校長室を結の森倶楽部の事務所として活用。

結の森倶楽部がある学校内の多目的部屋。村の子どもの発表会や、村民が集まってお酒を飲む場所として活用している。

――お二人は、あまごの養殖にも関わられているとお聞きしました。
津田:それは大股地区の人たちが組合員になって、自主運営してる養殖場なんです。みんなで手分けをして、養殖から出荷までを担っています。実はこの養殖場は、祖父が村の特産品をつくろうと始めたものなんですよ。祖父は婿養子で野迫川村に来た人なんで、新しいことに取り組む意欲があったのかな。

あまごに餌をあげている様子。村の人たちと当番制で担当しており、南さんの子供が手伝うこともある。

南:先代も林業の傍らわさび作りをやっていて、「林業だけじゃなく、副業を見つけた方が暮らしが楽しくなると思うから」といろんな人と繋がりを持たせてくれたんです。僕も念願かなって、昨年の冬からわさび作りを始めることができています。以前は村の産業となるほど、わさび田もあったのですが、生産者が高齢になり、わさび田を手放す人も増えています。もう一度盛り返して、わさびも村の特産品にしていきたいですね。

静岡のわさび農家へ見学にいくほど、熱心にわさび作りに取り組んでいるそう。今ではわさび田に行くことが趣味のように楽しみだと語る。

水がきれいな野迫川村だからこそ、あまごもわさびも育てることができる。

移住者が必要とされる存在になるために

南さんの話を聞いていると、まるで自分の故郷のように、野迫川村を大切に思い、村の発展に力を注いでいることがひしひしと伝わってきます。南さんにとって野迫川村はどのような場所なのでしょうか。

――移住者である南さんが、そこまで情熱をもって村のために動けるのはなぜなんでしょうか。
南:自分も、地域も「移住者」という認識はないからだと思います。毎年お正月に行われる「オコナイ」という行事は、基本的に地元民しか参加できないんです。でも村に移住して5年経ったぐらいに「南も入れてあげよう」「地域の1人として認めよう」と言ってくださって。そこでより一層、地域の1人として頑張っていかなあかんと気が引き締まりました。

――それはとても嬉しいですね!地域で必要とされる人になるコツはありますか。
南:今の社会は「平等であるべき」という流れになりつつありますが、田舎ではまだまだ上下関係の厳しさは根強く残ってる部分はあります。だから諸先輩方を立てる気遣いとか、人が集まるところには顔は出すとか、それは田舎暮らしの秘訣かなと思います。田舎の年配の人って言い方がきつかったりするけど、悪意は全くなくて、昔からそういうコミュニケーションの取り方なんです。

――移住を検討している方へメッセージをお願いします。
南:自然が好きで、周囲が静かで…といわゆる「スローライフ」に憧れてくる人は、そういう人間関係が面倒くさく感じる人もいると思うんですよね。でもやっぱり一人ではできないこともある。もし自分がやりたいこと、叶えたい夢があるなら、地域の人と交流をして、応援してくれる人を作ることが一番の近道だと思います。実は村には中学校までしかなく、みんな中学卒業と同時に村外に出るんです。今の目標は、高校・大学を卒業した子どもたちが戻ってきたいと思うような村にすること。そのためにも僕らが関わっている事業を軌道に乗せて、村になるべく多くの仕事の選択肢を作ってあげられたらなと思っています。自分たちの手で地域を面白くしていくことに興味がある人は、ぜひ一度野迫川村に足を運んでもらいたいですね。


離島を除いて日本一人口が少ない自治体と聞くと、移住に対して不安を感じる人もいるかもしれません。けれど、南さんや津田さんの話からは過疎地である大変さよりも、地域の人たちと一緒になって地域をつくる楽しさやワクワク感が強く伝わってきました。また、林業だけに捉われず、複数の事業に関わる働き方は、一次産業の新たな働き方なのかもしれません。野迫川村には、豊かな自然の資源が十分にあります。「田舎には何もない」と思う先入観を捨てて自ら動くことで、これまでにない面白い暮らしが待っているかもしれません。

Profile

企業名:有限会社津田林業
所在地:奈良県吉野郡野迫川村北今西48
電話番号:0747-38-0122
URL:https://instagram.com/tsuda_ringyo