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移住者インタビュー

2022.03.25

移住者に聞く林業 | 奈良そして林業を選んだ理由と、現在の生活のリアル

文:さとう未知子
写真:西優紀美

コロナ禍によって働き方・暮らし方が変わった昨今、地方移住への関心は大きな広がりを見せています。一方で、移住をしてもその土地に馴染めず失敗してしまう例や、うまくその土地に馴染み、移住をきっかけに自身のコミュニティや活動領域を広げている人など、人によって経験はさまざま。移住に興味はあっても、「勇気が出ない、準備が大変そう、地域に馴染めるかな」と、様々な不安が出てきます。

奈良に移住して6年目になる仙田武史さんは、林業の仕事に就くために吉野に移住。その後、建築の勉強を経て、現在は株式会社ハーモニーで林業と建築の仕事をしています。
現在、仙田さんが暮らすのは奈良県北東部にある宇陀市。「室生寺」や「重要伝統的建造物群保存地区」があり、自然に囲まれながら歴史を感じる街並みがそのままに残る、奈良県の名所のひとつです。

今回は、仙田さんの仕事場にお邪魔して、林業と移住の暮らしについて、街での生活、現在のお仕事について、お話をうかがいました。

インタビュー:仙田武史さん(株式会社ハーモニー)

奈良に移住した経緯と林業の仕事について

――奈良に移住する前はどこにいらっしゃったんですか?

僕は出身が神戸なのですが、高校3年生あたりから木材に関わる仕事がしたいと思うようになり、高校卒業後に、岐阜県にある「岐阜県立森林文化アカデミー」という林業学校に入学しました。山で仕事をとはまだ決めていなかったので、間口を広く教えている学校ということで選びました。
そこで、建築や製材、山で仕事がしたいと、漠然と考えるようになりました。

――木材に関わる仕事がしたいという思いは、なにかきっかけがあったのですか?

高校がカトリック系の学校で、森の中の古い教会を修復しに行ったり、海外の貧しい地域で一緒に過ごすことがあり、自分たちの手の届く範囲の材料で暮らしていくことを経験しました。そこで、身近な材料を使って生活をするということに憧れを持ったというか、すごく良いなと感じました。

――奈良県に移住を決めた理由はなんですか?

林業学校を卒業後どこで就職しようかと考えた時に、吉野林業は林業の中でも本場と言われる場所で、神戸にある実家との距離もほど良かったので、吉野で働こうと思い、川上村に移住しました。

――吉野の川上村に来てからはどのような仕事をしたのでしょうか?

最初は、山から木を運び出すのに、ケーブルを張ってロープウェイのように木を出材させる架線集材の仕事をしました。その後、その会社といくつかの林業の事業体が立ち上げた組合に移り、測量、伐採、ヘリコプター集材の荷造りなど、林業に関わる様々な作業をしました。各事業体で人手が足りていないときに、順番に呼ばれる感じです。
その後、一旦退職して、奈良県の高等技術専門校に通い、1年間、建築の勉強をしました。そして、昨年の2021年4月から今の会社で、林業と建設と両方の仕事をしています。

――仕事を辞めて建築の勉強したのはどのような思いだったのでしょうか?

林業の仕事は、どうしても天候に左右され、雨の日には仕事が休みになってしまう。また、組合に所属して色々な仕事に関わることができたのですが、林業全体の景気がよくない中だと、人手が足りないところに声をかけてもらうこともそう頻繁ではない。
そういう事情の中で、林業に関わりながら安定した環境をつくるには、もう一つ自分にできる能力が必要だと思いました。選択肢は色々とあると思うのですが、やはり吉野は昔から林業と共にある地域。「木に関わる仕事がしたい」という自身の思いもあり、木の使用用途としての「建築」に着目しました。これまで木を伐り出す仕事をしてきて、今度はそれを建材として建築で使うことを学んでいきたいと思ったんです。伐ってきた木を今度はどうやって活用するのか、その先のことを学びたいなと。

伐り出した材木の寸検作業

伐り出した材木の寸検作業

――より安定した環境を整えるためにも、その先のキャリアアップを目指して、伐り出した木のその先の使い方を学びたいと思ったのですね。林業と建築のお仕事とは、それぞれ具体的にどんな内容になるのでしょうか?

建築は、主に施工監理の仕事です。例えば新築の家を建てる場合に、ハウスメーカーだと下請け業者に依頼して施工管理する仕事になると思うのですが、僕らの場合は、できるところは自分たちでやります。解体・基礎工事・施工監理などやれるところはやりながら、どうしてもできない専門的なところは専門家にお願いして、一緒にやっていく。
その際に必要な木材は、林業の仕事として自分たちで伐ってきた木を使います。ひとつのことに特化していない分、大規模なことや特殊なことはできないのですが、手に届くところであればできることはなんでもやる、という仕事です。
今は、毎回あちこちの本を開きながら建築を一から学んでいる状態ですが、いずれ二級建築士の資格を取得し、設計部分も自分たちで行えるようになりたいなと思っています。

現在仙田さんが施工管理を担当する建物

現在仙田さんが施工管理を担当する建物
基礎工事の真っ只中

山から伐ってきた木は建材として建築の仕事で積極的に使用する(仙田さん提供)

山から伐ってきた木は建材として建築の仕事で積極的に使用する(仙田さん提供)

普段の建築のお仕事の様子(仙田さん提供)

普段の建築のお仕事の様子(仙田さん提供)

――今の仕事のやりがいはどんなところでしょうか?

直接お施主さんから「ありがとう」と言ってもらえるところですかね。
やっぱりお施主様がいると、全部お客様ありきになってくるので、今までとは違った目線になっているように感じます。
山にいる時は、山から木を伐り出して市場におろすところまでしか見えていませんでしたが、今は材料にするところまで視野に入ってきます。全部お施主様の見えてくるところなので、生活で関わる部分まで考える必要がありますし、そこをとても面白く感じています。

今の仕事のやりがい

初めての、林業と移住の暮らし。苦労とギャップ。

――奈良に移住して最初はどういう生活だったのでしょうか?

林業の仕事をしていた時は、朝は5時頃から起きてお弁当をつくります。そこから、山の現場に向い、6時半くらいから登り始める感じです。そして、15時に現場が終わり、山を降り始めるという流れでした。

――移住先での暮らしや、林業の仕事にギャップはありましたか?

奈良に来る前、岐阜にいる時にも古民家でシェアハウスをして、田舎暮らしを経験していたので不便さは感じませんでした。僕が最初に住んでいた川上村では、コープの無料宅配サービスもあったので特に不自由さは感じなかったです。
仕事のギャップでいうと、山の仕事は天候に左右されるので、朝からお弁当をつくって用意していたのに雨が降り始めて中止ということはあり、そんな時は、「クソー」という気分でした(笑)。自分の予定が立てられないのは厳しかったですね。

――お休みの日はどんなことをしていたのですか?

突然休みになったりすると、畑仕事をしていました。向こうで家を借りると、畑がついてきたりします。そこに近所のおじさんが遊びにきて「畑の調子はどうだ?」なんて聞かれたりするので、荒れ放題にしておくわけにもいかない(笑)。
僕の家は、たまたま、前に住んでいた人が肥料をちゃんとしていてくれたようで、何を植えても良く育ちました。きゅうり・なす・トマト・ピーマン・ジャガイモ・かぼちゃを育てて、自分でも食べて実家に送ったりしていました。

――生活に必要な分は自分で育てられたのですね。地域の人との関係はいかがでしたか?

川上村は林業の村なので、林業やりにきましたと言えばある程度受け入れてもらえたかなと思います。顔を見れば「元気にしてるか?」と聞かれたり、野菜ができたら「食べて」と持ってきてくれたり。最初の会社の社長のお母さんが、ご飯をつくって持ってきてくれたりするのはありがたかったですね。それを見て、地域の皆さんもぼくを迎えてくれた気がします。
自治区でお祭りがあって、そういう時は家族単位でお弁当を用意するのですが。僕は一人なので、それぞれの人たちがそれぞれのお弁当を「食べや」と持ってきてくれて、よりどりみどりになったこともありました(笑)。

――移住することに対して、家族の反応はいかがだったのでしょうか?

その当時は特に反応があったかは覚えていないのですが、両親は、本に関わる仕事をしていて、ある時、実家に帰ったら書棚に林業に関わる本がずらっと並んでいました(笑)。直接は話さないのですが、興味は持ってくれているのかなと思います。

――今は、新しい仕事について住む場所も移られたということでしょうか?

実は、今、この事務所の上に住んでいます。20年近く放置されていたところを自分たちでリフォームして、会社と住居として使っています。

事務所としても使用している仙田さんの住まい

事務所としても使用している仙田さんの住まい

――宇陀に移って、この街の魅力はどう感じますか?

このすぐそばに「重要伝統的建造物群保存地区」があるのですが、やっぱり僕らは、集成材や合板とか、新建材と呼ばれるものたちで固める住宅よりも、昔ながらの木材と呼ばれる、張り合わせの接着剤など使っていないような木の住宅を見る方が、山側としてはしっくりくる。それが、昔ながらの状態でずっとある街並みなのですごく面白い。生活していて楽しいです。

宇陀市内にある「重要伝統的建造物群保存地区」の街並み

宇陀市内にある「重要伝統的建造物群保存地区」の街並み

事務所の天井

事務所の天井

移住で見つけた豊かさと、これからの思いとは

――奈良に移住をして、今だからこそ感じられる喜びや楽しみはなんですか?

経済優先じゃなくても、山や自然の恵みがあれば、豊かな生活ができるということです。神戸にいた時は、都会での生活の中で、頑張って競争に勝ち抜かなきゃと思っていました。でも、ここだと都会の競争社会とは違った価値観の中で豊かさを感じられて、お金のために生活を犠牲にするようなところまでいかなくても生きていける。余った材料で色々できるというのもありますが、月々20万くらいあればやり方次第で十分豊かに暮らしていけると思います。

仕事で使う備品から日々消費する食材まで、なるべく自分の手で生み出していく

仕事で使う備品から日々消費する食材まで、なるべく自分の手で生み出していく

――都会に戻りたいとは思わないですか?

自分の場合は戻りたいとは思わないですね(笑)。山とつながっていたいし、木材と関わりたい。元々、木材に携わりたいという思いがあったので、今こうして仕事ができることは楽しいです。せっかく林業大学校まで行って勉強してきた知識や技術は、やっぱりこの辺でやっと力が発揮できる。都会で力が発揮できるとは思わないですね。

――今後、ご自身でどのようなことに挑戦していきたいと思っていますか?

僕は神戸の出身で、阪神・淡路の震災の時に生まれました。震災をきっかけに、木造建築が変わっていきました。建物を金物で固めたり、新建材をつかったり、耐震性が取りにくくなったりと。でも、木造でも材料をしっかりと生かせば、安全なつくり方ができますし、昔の方の知恵が日本にはたくさん残っている。
木にはそれぞれ特徴があり、木材をいかした建築を建てていく。山側から木を見て、こんな材料がありますと施主さんに提案していけるようになりたい。自分の照準は山にあり、山側からの視点を持って設計にいかしていきたいと思っています。

――移住を検討する人へ、メッセージをいただけますか?

僕、実は引っ越してきたのはここで5軒目です。その度に、ちょっと片付けて、リフォームして、畑も耕してみたいなこともやっていて大変でしたけど(笑)。
だから、移住してくる人も、絶対にここで腰を落ち着けなきゃとか、仕事を見つけるんだとか、地域とつながるために足繁く色々なところに通ってとか、そんなに深刻に考えなくても、スッと入ってみたら良いと思います。


「木材に携わる仕事がしたい」という思いを持ち続け、様々な経験を積み、人と出会いながらたどりついた今の仕事。これまで平坦な道ではなくても、挑戦を続けてきたからこそ今があり、それは最初に考えていた想像を超えて、新しい世界が広がっていることを感じさせられるお話でした。「自然の中にいると、自然に委ねる気持ちがでてくる」という仙田さんの言葉どおり、まずはその土地に入り込んでみる。一歩を踏み出し、そこで自分の成長と共に新しい世界を見つけていくことも移住の魅力の一つかもしれません。

Profile

企業名:株式会社ハーモニー
所在地(本社):奈良県大和高田市南今里町1-35
電話番号:0745-60-1569
URL:https://totsukawazorin.com/