現場密着
2025.03.31
100年先に続く林業をどう維持するのか。川上と川中の交流、多様な人が築く新たな未来
文 :さとう未知子
写真:山下陸
あたりに漂う、芳醇な木の香り。山から運ばれてきた原木が並ぶ光景は圧巻で、ここが500年の歴史を持つ吉野林業の地だということを感じさせます。近鉄線の電車が通る「吉野町」は吉野川の中流地域に位置し、昭和初期に築かれた「吉野貯木場」では、上流で伐採された木が川を下って運ばれ、原木市や製材が行われてきました。一年を通して開催される原木市には、地元の製材所はもちろん、全国からも優良な材料を求める人々が集います。山で伐採をする職人と、木に値をつけ買いつける製材所の人々が顔を合わせるこの市場に、今回取材する、吉野町で製材所を営む辻健太郎さんと、川上村で林業を営む平井雅世さんの姿がありました。辻さんは家業の製材所で働くかたわら、平井さんが運営する「丸林業」で木の伐採、搬出作業も行っています。一方の平井さんは、CAや大学の研究員という異色の経歴を経て家業を継ぎました。それぞれの想いが交わり、生まれる新たな挑戦。その姿には、これまでの慣習を越え、未来へとつながる林業の新しい形を模索する希望が感じられました。辻さんが山に入る理由と、2人が描く林業の未来とは。
辻健太郎さん(丸林業 / 辻木材商店) 、平井雅世さん(丸林業)
製材所で働く辻さんが、山に入るまで
「木は山にあるのに、出してくることができないようになる」
――まずは、辻さんのメインのお仕事である辻木材商店の成り立ちや辻さんが家業に入った経緯について教えていただけますか?
僕で3代目になります。吉野貯木場で、祖父の代から薪(まき)や柴(しば)をつくる仕事をしていました。当時の日本では、石炭や石油が普及する前で木材は主要な燃料として使われており、吉野からも燃料用木材が全国に送られていたと聞いています。かつては吉野貯木場に近鉄の引き込み線が通り、それを通じて国鉄に乗せて全国へ木材を輸送することが可能でした。その後、時代の変化とともに桧の建築用材を製材する仕事へ転換していきました。僕は最初、家の仕事をやる気はありませんでした。父からも「やらんでいい」と言われていましたし、保育士になろうと考えて京都の大学に進学しました。ただ、その後、保育士の資格だけでは働ける場所は限られる状況になり、結果的に保育士の道を諦めて地元に戻ることを選びました。「とりあえず手伝いながら次を考えよう」と思って実家の製材所で働き始めたのですが、気づけばそのまま今に至っています。
――製材所で働いていて、なぜ山に入ってみたいと考えるようになったのですか?
働き始めて最初の2、3年は目の前の仕事に必死すぎて記憶が飛んでいます。スギとヒノキの違いもわからないし、製材してどのようにお金になるのかもわからない。とにかくがむしゃらに働いていました。貯木場の周辺には今でも木材工場が集まっていますが、同年代の人も少なければ、これまでのつながりもなかったので、思いを共有することが難しいという課題がありました。働いている人の年齢も高くなる一方で、漠然と「このままで良いのだろうか」という不安を抱えていました。

我々が取材した日は原木市が行われていた。

まるで魚の競りのような掛け声で次々と取引額が決まっていく。
そんな時に、「吉野杉の家※」のプロジェクトがありました。世界的に活躍する建築家の長谷川豪さんが設計し、吉野材だけでつくられたAirbnbの宿泊施設が完成したということで、運営を地域の人たちで担うため、吉野中央木材の石橋さんから「一緒にやってほしい」と声をかけられました。それまで自分の仕事にしか向き合ってこなかったので、迷わず「やります」と即答しました。

吉野杉の家。
※吉野杉の家とは:建築家の長谷川豪とAirbnb共同創業者ジョー・ゲビアのコラボレーションにより、奈良県の吉野町に2016年より建設。Airbnbによる世界初のコミュニティハウス「吉野杉の家」は、建築と文化の共有を通し、地域の活性化を目指すために生まれた。
――そこから、街の人たちとの交流も生まれたわけですね。
吉野杉の家に関わるようになってから、地元のつながりも深くなり、いろいろな話をする機会が増えました。また、運営していくなかで、国内だけでなく海外からもゲストと出会い、吉野杉の家を見て「すごい」と感動してくれるのを聞いて、僕自身も「吉野材って本当にすごいんだ」と改めて感じるようになりました。一方で、街の人たちの話を聞いていたら、ますます「やばい」と感じる現状も見えてきました。他所から来る方々は吉野材を褒めてくれるのに対し、地元では課題が山積み。そのギャップを埋めるのにどうしたらいいのだろうと考えながら吉野材のPRや活動を続けるなかで丸林業の平井さんと出会いました。
――平井さんと出会うことで、山に入りたいという思いが芽生えたのですか?
「山に入りたい」という思い自体は以前から持っていました。でも、きっかけがなかった。商売をしているなかでも、「木が良い」と言っていただけて、この品質の重要性も感じる。ただし、世間で求められる一方で、地元市場の価格では低く抑えられてしまう。良いものをつくり続けたいという思いのなかで、現在の品質を維持したままどれだけ続けられるだろうと考えた時、「あと、5年後には無理なんじゃないか」と思うようになりました。それは、木がないからです。正しくは、木は山にあるのに、出してくることができない。吉野の山は急峻で、伐採や運び出してくることにも特殊な技術が必要になります。それを担う職人は今では、60代〜70代の人が多いという現状で、技術やノウハウを今、残していかなければ次につなげていけない。平井さんに初めてお会いした時に、「人手がない」という話を聞き、できれば自分に山の仕事のことを学ばせて欲しいとお願いしました。
家業を継ぎ、山を引き継ぐ
「山は捨てられないという想いで、帰ることにした」
――平井さんが丸林業に入るまでの経緯を教えていただけますか?
家業の生業はもともと林業でした。曽祖父は、吉野貯木場をつくった人。父親は「家業の林業だけではやっていけない時代が来る」という考えのもと、大阪で建材卸しの会社「丸産業」を立ち上げ、奈良県橿原市に移転して事業を拡大していきました。現在は、ホールディングス会社「Maru’s」の傘下に丸産業があり、別事業体として丸林業があります。

吉野貯木場をつくった平井さんの曽祖父の功績を称えた石碑。
私は、5歳までは川上村で育ち、父は大阪と吉野を行き来しながら林業と建材販売業を両立させていたので、私も父に付き添って吉野にも頻繁に訪れていました。私が生まれた頃、吉野は「吉野ダラー※」と言われるほど、村が繁栄していた時期。平成初期までは木材の価格も今の低価格となっておらず、村にも多くの人が住んでいました。大学卒業後、外資系の航空会社「チャイナエアライン」に就職し、台湾でCAとして働きました。その後、帰国して結婚。夫は、大学で土壌の研究を行っている傍ら、「タイ国北部傾斜地での焼き畑農業」に関する研究プロジェクトを進めていました。そのプロジェクトに同行するうちに自分もその分野にのめり込んでいきました。そこで、地域や途上国がどのように経済的に発展するのかを探る「開発経済学」を学び、その手法で調査する中で、村に住む人々は多様な収入源をもっていることがわかったのです。その後、宇都宮大学での研究員の傍ら大学と地域とを繋ぐコーディネーターとして10年間勤務していました。2020年頃に、弟たちから「山の管理まで手が回らない、先祖代々受け継いできた山を捨てるに捨てられない。帰ってきてもらえないか。」と相談をうけました。そこで、山を続けるか、やめるかの家族会議を行い、結果的に「先祖代々受け継いだ山を捨てるわけにはいかないよね」と全員の意見が一致。その後も本当に自分に林業が務まるのかと1年ほど悩みましたが、最終的には吉野に戻る決心をしました。
――現在はどのように山の仕事をされているのですか?
(平井) 私も最初はスギとヒノキの違いもわからないところからのスタートだったんです。最初に弟に頼まれたのは、「所有する山の境界線をつけて欲しい」ということ。職人さんと一緒に山に入って、木の見方を学んでいきました。現在は、山林所有者から出材の依頼を受け、どの木を伐るか選定、それらの木を買い取り、伐採して市場に出すまでの段取りを行っています。林業の現場では高齢化が進み、職人さんも、60代後半から70代のベテランの3人が中心です。人材育成が喫緊の課題で、いよいよやらなければいけないというところで辻さんとの出会いがあり、「これは突破口になるかもしれない」と思いました。
製材所と林業の二足のわらじ
「市場に出る前の過程を知ることで、一本の木を大切に扱うことにつながる」
――辻さんの本業である製材所の仕事はどのようなことをされているのですか?
(辻) 製材所の仕事は市場で原木の仕入れをするところから始まります。購入した原木を持ち帰り、用途にあった部材を製材、加工し、販売するのが仕事。これまでも、丸林業さんから木を買っていたのですが、こんなに近くにいても誰がどのように伐って町に運び出すかまでは、知りませんでした。
――製材所と山の仕事はどのような割合でされているのですか?
(辻) 本業は製材所の仕事なので、平日の1日は山に行く日をつくり、週末は晴れたら山に行くようにしています。週に2〜3回は山に入るようにしています。
――どのように仕事を覚えたのでしょうか?
(辻) 基本的には言葉で教えてもらうことは少なく、どういう作業をするのか、見て覚える形でした。「木を伐れるようになるまで5年かかる」と言われています。伐採は3〜4人のチームで行うので、作業をスムーズに行うための準備やチームワークが重要になってきます。最初の3日間で、ある程度の動き方が見えてきて、道具の使いかたもすぐに覚えられた気がします。
(平井) 最初のうちはチェーンソーを使ったり、重機に乗ったりするということはないので、作業自体はシンプルですね。
(辻) 山の作業自体も自分が思っていたほど、キツくはありませんでした。林業は危険と隣り合わせなので、こまめに休憩を取りながら周囲の状況や一緒に働く人たちの体調を見て作業を進めるので、無理をしない環境が整っていると感じます。ただ、寒さが一番キツイですね。
――山に入るようになってからの考え方や、仕事での姿勢も変わりましたか?
(辻) 僕たちは、やっぱり良い材料が欲しいんです。吉野材といっても、品質はピンキリで、良いものもあればそうでないものもある。これまでは市場で見た状態で木を判断し、値段をつけていました。市場に出てくる木は一番綺麗な状態に整えられていますが、実際には、その前に泥がついていたり、曲がっていたりする。それを、綺麗に造材して、市場に並べられるようになります。その過程を見ることによって、市場で見える以上の情報を得るようになりました。材料をつくるためには重要なことですし、見ていてすごく勉強になります。
それに、市場に出してくるまでの経費と手間の問題がある。分かっていたつもりだったのですが、知っている以上に莫大な経費がかかっていることを目の当たりにしました。それが分かれば、だれでもこの1本の木を大切に扱うようになりますよね。自分は、「山で仕事がしたい」「木を伐りたい」という憧れだけでやっているわけではないので、最終的には本業に落とし込んでいかなければいけません。「林業をしたい」という思いの人たちとは入り口は違うような気がします。
(平井) 本当は、搬出と製材を一本化する方が良いのかもしれません。この二つが分断されてしまっているから価格にも反映されなくなってくる。一本化することで、もっと良い循環が生まれるような気がします。
(辻) 60年ほど林業を続けておられるベテランの職人さんに、「製材所の人間で山に来たのは、お前が初めてや」と言われました。それだけ長い間、それぞれの仕事を続けてきたということだと思います。
(平井) 一昔前までは人手も足りていて、それぞれで完結していても間に合ってきたのだと思います。辻さんが、その垣根を破ってくれた。本当は、搬出・製材の流れを一本化した方が、木の価値をお互いに上げられる。それでも、自分たちの世界には誇りがあるため、超えられない垣根があるような気がしますね。
製材と林業の両方の側面から課題を見る
「高品質な木材は適正な価格で買われるように、木の価値を伝え、アプローチをする」
――今ある林業の課題に対して、お二人はどのようにしていかなければいけないと感じていますか?
(辻) かつての「良い時代の価格帯」に戻すのは正直難しいと感じています。コロナ禍でウッドショックがあっても、高品質な木材の価格は大きく変わらなかった。それだけ需要が少ないということで、以前の水準に底上げすることは現実的ではないのだと思います。まずは、人がいないと安定した量を出し続けることができない。林業の仕事をコンスタントに生み出して継続的に行える環境を整えることが大切です。そのためには、木材の活用用途を広げることも重要だと考えています。これまでは建築材としての用途がベースでしたが、それでは価格は変わらない。最近では、テーブルや椅子などの家具、あるいは醤油製造のための木桶などの「吉野の木でないとつくれない」と言ってもらえるものづくりに出会うようになりました。こうした用途に向けて、木を活用する方法を考えることが、これからの林業にとっても重要だと思っています。全体的には価格を引き上げるのが無理だとしても、「ここぞ」という場面で使われる材料は適正な価格で買ってもらう。一般的には、市場で値がつけられるのは一瞬の出来事で材料の価値が決まってしまう。でも、良いものは良い価格として出さないと、現状は変わらない。そのためには、少しずつでも木材を必要としている人や価値を理解してくれる人たちにしっかりアプローチし、価格を設定することまでしなければ、良い価格で山まで還元されるような循環が生まれないように思います。市場が必ずしも安いわけではありませんが、もっと評価されてもいい木が低価格で終わってしまうパターンも多々あるように思います。
(平井) 市場の仕組みは大切ではありますが、この仕組みだけに頼っていたら木材の価格は変わらないと思います。先ほど少し話に出た、私の曽祖父がここに貯木場をつくったのは、それまで吉野川から和歌山まで材料を流していたため、向こうの商人たちに買い叩かれてしまい、吉野には利益が落ちない仕組みになっていた。それで吉野に貯木場をつくり、ここまで買いにきてもらう仕組みを整えたんです。それをさらに改善して、今の時代には、現場まで来てもらい、木を見て買ってもらえるといいのかも知れません。樹齢300年ほどの価値のある木が、安い値で取引されてしまうような形にしてはいけないのだと思います。
(辻) 川上から川下まで一気通貫する流れをつくることができれば、消費者にストーリーを伝えられるだけでなく、林業従事者や製材に関わる者にとっても、その先の使い道や価値を知るきっかけとなり、より深い意味を持つ仕事へとつながると思います。
これまでは、製品の出口さえ広がれば自然と木も出てくると思っていました。仕事上、製品をいかに使ってくれる人に届けるかということを考えてきたわけですが、その根っことなる原木の供給に目を向けると、市場の拡大だけでは課題の解決にならないのだと気づきました。たとえ、製品の市場が盛り上がって「今売れるぞ」となったとしても、原木の市場は別の流れがあるため、出材数を突然に増やせるわけではありません。「今ここで出せない」となれば、他の地域で調達することになってしまいます。先人たちは良い材料をコンスタントに出すことのできる山の環境をつくってくれた。それを維持し、循環させていくのは人の力です。
林業と製材。二つの視点を通して感じる、未来の産業に必要なこととは
「経済林として育てられた山は、なんとしてでも経済を回していかなければいけない」
――今後、林業で働きたいという人にとっても、新しい需要や使い道を知ることは重要だと思います。製材した木材の用途について、最近の動きを教えてください。
(辻) 先ほど少し触れましたが、木桶の需要が注目されています。これは、小豆島の醤油職人さんたちが木桶づくりの技術を残そうと始めた取り組みがきっかけです。木桶をつくる職人さんが減少するなかで、醤油、味噌、酒、味醂などの発酵調味料のメーカーの方々が、その価値をPRしながら、全国だけでなく海外にまで広めています。もともと吉野杉は「樽丸林業」といって酒樽をつくるために高品質な木がつくられるようになったという歴史があります。今再びその価値が評価され、「吉野杉が最適だ」と言っていただけるようになりました。海外では1Lのサイズの醤油が1万円程度で取引される国もあるそうです。また、家具メーカーやデザイナーが吉野を訪れて「吉野材だからこそつくれる家具」の可能性を広げようと考えて下さっています。建材だけでない木の使い方も広げられるように、吉野材の価値の発信が大切だと思っています。
――平井さんの方では、何か新しい取り組みや今後の展望をお持ちですか?
(平井) 実は今、スギ・ヒノキだけでなく、尾根沿いに生える「アセビ」の木を収穫して出荷する取り組みも始めています。アセビは、枯れにくいことからフラワーアレンジメントに使われる需要があると分かりました。これまでは伐採する際に邪魔だと切り捨てていたものが、実は価値ある資源だったんです。また、山にある枝もの、苔、古い切り株なども、人によっては価値が生まれる。こうした山の資源をいかにお金にかえていけるかが大切で、そうすることで山が綺麗になり、良い木を育てる環境がつくれるのかもしれません。

枯れにくいことからフラワーアレンジメントでの需要が高いアセビ。
昔は、スギやヒノキだけでも経済が回っていました。だからこそ、吉野では1haあたり8,000〜10,000本以上の密植が行われて、全てお金に変えることができた。今は出材するコストが収益を上回り、価値の低い木は山に捨てられてしまう。時代の変化に適応していかなければ吉野ブランドや木の価値も失われてしまう。だからこそ、今の時代に応じて何でも試してみることが大事だと考えています。
――辻さんのような「副業林業」という働き方も、これからの林業の可能性を広げられるかもしれませんね。
(平井) 林業しながら別の仕事をするスタイルでも良いと思っています。雨の日は別の仕事ができるようになるし、敷居を下げることでまた新しい発想や取り組みが生まれるかもしれません。
(辻) 丸産業さんがつくられた川上村のコンビニや、吉野ゲートウェイができたことで、町の人や移住者の交流が生まれ、居場所が生まれました。先ほどのアセビの話も、吉野町に移住された吉野ゲートウェイのスタッフの清水さんから得た情報がきっかけになり、始まったことです。

川上村のコンビニ「KAWAKAMI GATEWAY(かわかみゲートウェイ)」。

「YOSHINO GATEWAY(吉野ゲートウェイ)」。
また、僕が山に行き始めたという話をすると、木工作家やデザイナーなど、仲間たちが「自分も山に入ってみたい」と言ってくれるようになりました。さらに、製材した木を買ってくださる方々に林業の話をすると、「伐採現場を見てみたい」という声もいただきます。これまでは気軽に「現場を見せてもらえますか?」とは言い難い雰囲気がありましたが、平井さんとの出会いを通して、山の体験価値を提供できるようになり、さらに付加価値を生み出すことができるような気がします。
――最後に、お二人が考えるこれからの未来について教えてください。
(辻) 僕は、吉野貯木場で製材所を営む中で最も若い世代です。なんとか現状をよくしていかないと、このままだと自分が最後の世代になってしまうという危機感を抱えてきました。林業に足を踏み入れられたのも、たまたま平井さんと今ご縁をいただいたこと、町に関わるさまざまな仲間たちとの出会いが、自分の背中を押してくれたのだと思います。まずは目の前の課題に目を向けて、この先の100年をどう維持していけるかに取り組んでいきたい。多くの人が関わることで、良い流れが起こりそうな気がしています。
(平井) 私たちは、過去から未来につなぐ中間の存在です。先人が、撫育して守ってきてくれた山を次の世代に残していかないといけません。そのためには、時代に応じて、なんでも試してみたらいいと思います。私たちには資源がある。そして、それを残していくために、ありとあらゆることをしていく。いろんな人の知恵をもらって融合させていくことで、新しい道を切り拓いていきたいと考えています。
林業は、「川上・川中・川下」と呼ばれるように、林業という大きな川で、どこからどこまでが境界とわからないくらい大らかな交わりを生むことで、その流れの勢いを変えられるかもしれない。林業の課題は、林業に従事する人たちだけが抱えるものであって良いのか。多様な人が山を思い、関わることによって、新しい取り組みが生まれ、少しずつ形を変えていく。かつての当たり前は今に通用しないように、「変えていこう」という勇気と挑戦が、新しい川の流れを生み、森へと循環する新たな未来が築いていけるかもしれません。
Profile
企業名:丸林業
電話番号:0746-54-0018
企業名:丸産業
電話番号:0744-22-4390
所在地:奈良県橿原市曽我町32-2
URL:https://marusangyou.co.jp/
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Profile
企業名:辻木材商店
所在地:奈良県吉野郡吉野町飯貝5-23
電話番号:0746-32-4156
URL:https://naranoki.pref.nara.jp/magazine/know/nara_interview_tsuji/
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