現場密着
2022.03.25
魅せる吉野林業。この道26年のやまいきが思う、いまの林業のやりがいと魅力。
文:さとう未知子
写真:西優紀美
吉野林業の発祥の地と言われる吉野郡川上村。吉野地方の中でも吉野川の上流域に位置し、古くからここに住む人たちは豊かな水源と山林と共に暮らしてきた。吉野では、山に入って木を伐採する職人のことを「やまいきさん」と呼ぶ。山に行き、山に生きる職人たちがいて、今にその歴史を受け継ぐ吉野林業。
今回は、川上村で、高度な技術をもって木を伐採する職人、中平林業の中平武さんの仕事現場にお邪魔して、山とともに生きる暮らしと仕事について話を伺った。
インタビュー:中平 武(中平林業)
中平さんが、林業家を選んだ経緯と山に生きる仕事とは
中平さんは、川上村で生まれ育ち、そこにはいつも豊かな自然環境があった。祖父はかつて「炭屋」を生業にし、山に入って雑木を伐り、それを炭にして大阪に売りに行っていたと言う。父は今も現役で木を伐採する職人歴50年以上のベテランの中平寛司さん。中平さんは「やまいき」である父の背中を見て学び、同じ生き方を選んだ。
――中平さんは、どのようにして今の仕事を選ばれたのでしょうか?
幼い頃から父親に連れられて現場を見ていました。でも、小さい頃から山の仕事につくと決めていたわけではなかったです。高校卒業して、地元のホテルで働きましたが一年でやめて、その後に山の仕事についてから26年になります。それまでは高校生の時に、父親に連れられてアルバイトで山の仕事をすることはありましたが、きっと気性に合っていたんでしょうね。
――山の仕事はどうやって覚えていったのでしょうか?
父やまわりの職人の姿を見て学びました。修行時代は厳しかった。見て覚えるというやり方です。例えば、ヨキ(斧)の刃の研ぎ方でも、先輩に「これでどう?」と見せても、最初は刃も見てくれない。僕が使った砥石の減り方で「あかん」と言われる。なかなか刃を見てもらえず、やっと何年かして見てもらえるようになりました。「これやったらいける」と。枝打ち(木の枝をその付け根付近から除去する作業)に使う刃物は、夏と冬では刃の形が違う。冬は凍っていて枝が硬いから、刃物も厚めにしないといけない。夏は柔らかいから細い。そういったことも、一から教わることではない。おっちゃんたちの話を盗み聞きしながら身につけていきました。枝を打っているのを見て、真似する。教えてくれるわけではないものを目で見て学ぶ。そして、木に残った刃物の跡を見て「このようにする為にはどうすればよいか」を考える。木を見て勉強するんです。
そう言って、中平さんは、伐採した木が積まれている集積場に案内してくれた。中平さんは木の断面の一部をさして、「ここが、昔の人が枝打ちした跡です」と言う。年輪が非常に細かく美しいのが吉野林業の特徴で、その中に、細い「くの字」のような切り込みがある。素人目ではわからないうっすらとしたものだが、昔の人が、木に登って枝打ちをしたおかげで、真っ直ぐと細かい年輪を持つ木に育ち、ブランド材と言われる吉野産材ができるのだ。「これが、吉野林業の歴史です」と、中平さんは言う。
――普段は、どのようなお仕事を行っているのでしょうか?
ひとつは、山に入って木を伐採する仕事。伐った木はヘリコプターや架線集材でこの土場(集積場)まで運び出し、トラックに乗る長さに切って、川下の市場や製材所等に運びます。
もうひとつは特殊伐採です。街なかでは周囲に建物や電線があり伐採や剪定が困難な木があります。作業不可能と思われた難易度の高い木でも、様々な道具と技術を駆使することで、周囲の環境を傷つけることなく伐採や剪定等の作業が可能になります。
――木に登って伐採することはお父様もやっていたことなのでしょうか?
それは僕がやり始めたことです。木材価格が低迷していることで、木の出荷による収入は昔ほど得られなくなっています。それに僕は山主ではないので安定的に出荷できるかどうかわからない。だから他に強みが欲しい、加えて持てる技術を更に磨いていきたい、進化していきたいと思い、始めました。
林業家の暮らしと仕事の現場から
山の仕事は天気と共にある。晴れていれば山の中で仕事をし、雨や風のある日には作業ができず、休みになる。「自然相手の仕事だから、人間のものさしでは測れない」と中平さん。朝6時前に起床し、7時には作業場に到着。陽が沈む頃には山を降りて、夕方16時に仕事を終了し、17時頃に帰宅。帰宅後も明日の用意や、取引先や業者等との電話対応などがある。山に入っている日中は電波が入らず連絡が取れないことが多い為、どうしても仕事の前後にまとめて行う必要がある。ようやく落ち着くのは晩ご飯を食べる頃。
趣味はサーフィンと狩猟だ。休みの日には、サーフィンをやりに熊野(三重県熊野市)の方に行くこともあると言う。天気が荒れると、海に行って波に乗る。山の男でサーフィンをする人は意外と多いと言う。
また、山奥の現場で規模の大きい伐採となると、1週間近く山から降りられず、テントで寝泊まりをしながら仕事をすることもある。食料もいよいよ尽きてくる頃になると、中平さんが猟をして食材を調達するという。必要な分だけ、山の中で命をいただく。「無駄な殺生はしない」というのが、父も猟をする中平家の家訓だ。
――普段の仕事はどのような準備をして山に行くのでしょうか?
前の晩にチェーンソーの燃料を入れ、ロープを用意しておきます。朝は、現場でチェーンソーの刃を研ぐ。一回山に登ると荷物を取りに戻ることはできないので、何が必要か考えてしっかりと準備をしておく必要があります。
仕事前には、みんなで集まって作業の確認をします。その時にみんなの顔色を見て、「寝不足だな」「体調が万全でないな」と思う者がいれば作業の量を調整する。仲間のコンディションを確認して、「安全に効率良く」を第一に心がけています。
――仲間とのコミュニケーションも大切だということですね。伐る木の下見をしておくこともあるのでしょうか?
下見は毎回しますね。どんな道具が必要なのか考えなければいけないですし、特殊伐採の場合は真っ直ぐ立っていない広葉樹も多いため、木を見て、どの順番で枝を切り落とすかなど、何通りも方法をシミュレーションしておかなければなりません。
――木を伐るのに大切にしていることは何でしょうか?
ただ木を伐るということではない。吉野林業地の木は、100年200年のスパンで先人たちが大切に育ててきた木です。それを、僕たちの代で商品にさせてもらえるのだから木を傷めないように伐ることが大事です。伐って終わりということではない。伐って、出してきて、加工されて、またどこかで使ってもらう。その中で、僕らが仕事をさせてもらっているのはほんの一部です。人間で言う、卒業式みたいなもの。ここから市場に出て、社会人になる。どこで使われるようになるかは分からない。次の人へバトンタッチをする。それには大切に、次の人へ渡さなければいけないと思っています。そして、吉野では、伐る木も大事だけど、一番大事なのは残っている木。残す木を傷つけないように上手に伐っていかないと。次の世代に良い木を残していくことが一番大事なことです。
この日、行われていたのは、山から伐り出されてきた木を最適な長さに切り分け、市場へ運び出す作業。チェーンソーや重機を使いながら、職人たちがキビキビと動き、大きく積み上げられていた材木が次々とトラックで運び出されていく。材木市場でできる限り高価格で売れるよう、材木の直径、曲がり、枝打ち具合など総合的に判断して3m、4m、6m材などに切る判断力は重要で、林業経営の収益にも大きく影響するようだ。
チェーンソーや重機など、危険も伴う作業があるなかで大切なことは何か?中平さんに聞くと、それは、「視野を広げ、音を聞いて、360度に意識を巡らすことかな」と言う。
――今日の作業はどういったところがポイントなのでしょうか?
やっぱり美しく切ることかな。切り口に段差をつけないように、木材の断面を綺麗に切ること。市場に行ったらそれが一つの顔になる。単に長さを揃えて切るだけではなく、一本一本の木を見てどこで切るのがよいか考えて切ることも大切です。枝打ちされたところがわかるように切ると、この材木の価値が上がる。みんなで、時には危険な場面も乗り越えつつ伐ってきた木だし、先人たちが大切に育ててきた木だから、値段が安くなるとみんなをガッカリさせてしまう。
――木を伐るのには、ビジネスの感覚も大切なのですね?
若い頃はあまりわかっていなかったのですが、今は重要なことだと考えています。市場に行って「どんな木が高い値をつけているか」などの情勢を見たり、市場関係者から情報収集したりと、利益を出すためにはどうすればよいか考えることも必要なこと。職人として目の前の木と向き合いながら、その木の価値をどう引き出すかということを考えることも大事です。
今は、林業全体が落ち込んで、質より量で、お金にするために皆伐して山が荒れてしまうような場所もあると聞きます。でも、吉野では皆伐はほとんど無い。樹齢200年であっても間伐です。僕たちは質で勝負したい。枝打ちの跡とか、先人たちがまっすぐで節のない木を育ててくれたこととか。昔があって今がある。それが僕たちの仕事ですね。
――今後、ご自身の展開でどのようなことがしたいと思いますか?
ここにあるような、伐り倒した木の端材を使ってろくろでお皿をつくるなど、木工品製作にチャレンジしてみたいなと思っています。伐った木を余すことなく使い切りたいし、それがお金になれば、現場仕事ができない悪天候の日などの仕事になる。すぐに上手くいくとは思わないですが、少しずつ新しいことも取り入れていけたらなと思っています。他には、山に遊び場を作る、案内する、職人仕事の動画を撮影して紹介するなど、林業に興味を持ってくれる人を増やす活動もしていきたいです。
林業に必要なのはやる気のある仲間です。一人ではこの仕事はできない。機械がいくら進んでも、運転するのは人。木を伐ることをしながらも、担い手を並行して育てていかなければ途絶えてしまう。人が途絶えたら、山もあかんようになってしまいます。
――これから林業家を目指す人たちへメッセージはありますか?
先輩の話をよく聞くこと。同じことを、耳にタコができるくらい聞く。そうすると、山に入った時に、パッと思い出す。ここの木は良かったとか、何年前に枝を打ったとか。何年前かに亡くなったおじさんは、山道で松明の置き場所も覚えてたとか。そうやって思い出すだけで、先輩が生き返ったような思いになりますね。昔の人が経験したことを身につけて、またそれを次に伝えていかないと。そうやって、山の仕事は続いていくもんです。
山で木を伐る人がいなくなったら、立ち枯れて、そのうち倒れてしまう。僕が今、若い子に言っていることも、後になって「あんなこと言うてたな」と思い出される。それで良いと思っています。「あのおじさん、ここで伐っとったな」というのがここの歴史に残っていく。それが、ここらの山の歴史です。それを僕らも継いでいくことが一番大事なことだと思っています。
人から人へ伝えられていく山の仕事。命の危険があるからこそ、この山で生きていた人たちの経験を語り継ぎながら木を伐り、次の世代へ良い木を残していく。「木を伐採するのは一人ではなく、みんなで伐る。」中平さんの言葉には、何百年の間、山に生きてきた人たちの経験が職人たちの中に生き続けていることを語っていた。先人たちが大切に育ててくれたものを受け取り、山を守っていく姿は、時代を経ても変わらずこの山のそばにある。そうして大切なものは、私たちの生活の中に送り届けられている。
中平武(中平林業株式会社)
18歳から林業の世界に入り、この道約26年。老舗林業事業元、森林組合と現場経験を経て、独立に至る。山作業へ行く日数は、年間180日を超え、年間伐採数は数万本に上る。過去には外周5m超、直径約180cmの大径木伐採や、重要な神社仏閣に使用される樹木の伐採も経験あり。伝家の宝刀は、父・寛司から譲り受けた年季もののチェンソー。若さを活かしたスピーディーな対応が強み。
Profile
企業名:中平林業株式会社
所在地:奈良県吉野郡川上村迫1334-11
電話番号:0746-58-7014
URL:http://nakahira-ringyo.com/